【アルノルフォ・ディ・カンピオ】

 

アルノルフォ・ディ・カンビオArnolfo di Cambio  1245年頃 - 1302年または1310年頃)は、フィレンツェ彫刻家石工。当時、中央イタリアを代表する巨匠として知られ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の最初のプランを計画したほか、幾つかの建築が彼の手によるものとされる。


経歴

 

彼の経歴で知られていることは少ない。アッシジのサン・フランチェスコ聖堂を建てたドイツ人ヤーコポを父とする資料もある。また、ジョルジョ・ヴァザーリはラーポ・ディ・リチェヴートの子であるとするが、これは明らかに間違いである。また、1289年に整備されたサン・ジョヴァンニ広場の工匠頭として記録されているカンビオ・ディ・ジョヴァンニを父とする説もある。1266年にはニコラ・ピサーノの助手となり、1294年には大聖堂建設の工匠頭に任命されている。少なくとも1280年頃までには、フィレンツェ随一の工匠として有名であった。1300年に建設されたサンタ・クローチェ聖堂も(彼が携わったとされる書類や文書はないが)彼の設計によるものとされる。実際に、サンタ・マリア・デル・フィオーレの初期のプランはサンタ・クローチェの平面といくつかの類似点が指摘されている。

 

参考文献

 

関連項目


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